フリーソフトウェア開発者の社会的責任
各所で話題になっている以下のお話。
こういう話はフリーソフトには本当によくある話で、パソコン通信の昔から、不定期にループしている話題だと思います。読むとげんなりしますけどね。
フリーソフト作者のはしくれの私にも少ないですが何度か似たような経験はあります。早くこのやりとりが終わってくれないかなあ、と思うような状況になります。海外の方からだと英語だということ以外に基本的な思考回路が違う場合もあってさらに悲惨。ですが、「これは酷い」とされる例のような、どこまでもしつこい方には幸いにも遭遇していません。大抵は必要以上に感謝の意を示され、こちらが恐縮するぐらいです。
今回の例のような「みんなそう言ってる(ボクはみんなの意見を代表する正義の声だ)」「あなたは私の望むソフトウェアを提供して当然」「私には(私たちには)権利がある」みたいなのは、フリーソフトに対してしつこくふりかざすから滑稽なのですが、お金を買って払った製品に対してだと、意外に一定の範囲に同意を得てしまったりします。どちらも自身が選択して、相手と合意して手に入れて使っているもので本質的な違いはないと思うのですけどね。
開発したソフトを公開している人は、それぞれに考えがあってフリーでソフトウェアを公開してると思います。もちろん開発するソフトウェアの仕様は開発する人が決めればいいことです(法的な制約がある場合を除く)。「公開したら社会的責任があるのでユーザの望むものを作るべき」「機能を削ることは多数のユーザが迷惑するのでコンセンサスが得られてから行うべき」いずれも、同意できません。「するべき」ではなくて開発者はそうする「権利がある」だけです。そしてそれは比較的合理的な選択なので、特段の反対理由がなければ対応します。大抵の開発者は孤高のギークではなく使っている人に喜んでもらいたいただの開発者です。
だからといってユーザはフリーソフトはタダで使わせてもらっているのだから有り難く使わせてもらえばよくて開発者に要望するな、というのもまた違います。開発者は利用者が見えると間違いなくうれしいものです。要望が来て悪い気はしませんし、それによって気づかされることも多いしニーズが把握できることで開発のモチベーションが維持できたりします。ただ、要望に対応するかどうかはまた別問題というだけです。普通に当たり前のことですよね。
思うに、フリーソフトウェアの開発者はこういう事態が事故のように降りかかる可能性を理解しておくことはもちろんとして、ソースコードを公開しておくのが一番楽だと思います。ソースは公開しているから好きに直して良いですよ、と言えますから。副次的には自分に不慮の事態が発生して開発を中止する場合に、ニーズさえあれば誰かが引きついで作業してくれる余地が残ります。ソースの公開は開発者にとっては自分の能力を晒すことになって少し恥ずかしい面があるのはわかります。ただ、あんまり無駄なプライド持ってもしょうがないというか…。別にソースコードで人格否定とかされませんからw。
そうそう、今回の騒ぎで、利用者にしっかり免責事項を含むライセンス条項に同意させる仕組みを用意することが重要じゃないかという論調も見かけました。問題発生時の担保なのであまり本質的とは思いませんが、契約で明確にするというのは一つの方法です。事前にスタンスを明確にしておくことは、お互いの利益になり得ます。少なくとも配布ライセンスを明確にすることは最低限必要でしょう。サポートのポリシーや要望に対する対応方針も明記してあるほうが良いそうです。IP Messenger for Mac OS X は公開サイトと「お読みください」に配布ライセンス(修正 BSD ライセンスです)を明記していますが、Readme では、見ないで使う人がいるので同意したとは見なせないという言い逃れが可能という考え方もあるようなので(利用者の責任も考えて欲しいものですが…)、そのうちなんらかの対処をしてみようかなあとか思っています。起動時同意はものものしいので、About 画面かメニューから参照出来る程度かなあ。
もうちょっと思っていることをうまく説明したいのだけれど、文章が長くなるばかりで的確に伝えられないのが残念です。文才がないということですね。